過酷で楽しく面白い介護現場

祖母と、祖母を介護していた母の思い出

私たち家族は父方の祖母と数年間一緒に暮らし、介護をし看取りました。その間には本当にいろいろありました。

祖母はその性格や趣味に没頭してしまう習慣から親族と合わず、仲の良かった従兄弟たちとも離れて私たちと暮らすことになったのです。住み慣れた田舎を離れ、自分を知る友人もいない違う土地での暮らしは祖母にとって体を弱らせるのに十分な状況でした。

これは今だから私にもわかることです。正直なところ小学生だった私には母と喧嘩をする祖母は好きではありませんでした。ですから、体が弱り始めたことも愚痴っぽくなっていったことも、当時の私には何も心に打つものがなかったのです。

祖母と暮らしたのはほんの7~8年でしたが、最後の3年ほどは入退院を繰り返していました。この3年間、母は祖母の身の回りの世話や介護にいそしみました。あんなにけんかをしていた祖母からは「あなたに下の世話をさせるなんてね…」と涙まじりに感謝の言葉を言われました。母も陰で泣いていたのを覚えています。あんなに喧嘩していたのに、それでも弱っていく姿を見るのは母には辛いことのようでした。

亡くなった後で、私たちは祖母の介護のことを時々思い出していました。病室に持って行ったお花を熱心にみていたことや、私が将来どんな大人になっていくかの話を静かに話していたのが思い出されます。私にとってその時祖母と過ごした時間は必ずしも楽しかった思い出だけではありません。しかし、祖母と一緒に暮らしたことで年を取っていくということに関して覚悟することや、他人を容赦することといったことを少しは学べたと思います。

そして、時折思い出すのです。祖母が面白そうに家族と笑う笑顔と熱心にちぎり絵や大正琴を楽しんでいたことを。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

sitemap